「プロの手つき」から、私たちは小さな一歩を踏み出せて、それはコミュニティを変えていく

土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を読んで、料理をすることへの考え方に刺激を受けて、たまたまポッドキャストでも、土井さんの語りを聞く機会がありました。

養老孟司さんと対談をする日に、土井さんはおはぎを作ってもっていったそうです。「おはぎなんて、前の日に、小豆を・・・しておけば、簡単ですから」。そうか、おはぎって、小豆を・・・しておけば、作れてしまうのか。・・・の部分は、聞き取れておらず、調べていませんが、何やら自分でも作れてしまうのかも、という気にさせてくれます。

この「自分でもできるかも」という感覚は、できたらすごいかも、できちゃうかもという失敗することよりも、期待を高めて、そのまま実行へと持ち込んでくれるくらいに自分を引っ張ってくれる引力があります。

この感覚が湧いてきたらしめたもの。あとは、やるだけです。もうやらずにはいられずに、楽しさしかない。そんなモードに入りながら、私たちは「プロの手つき」から、私たちは小さな一歩を踏み出せて、それはコミュニティを変えていくのでしょう。

もちろん、「プロの手つき」には、私たちには目に見えないくらいの技が水面下にあるわけですが、それでも、わたしたちに届く言葉には、やってみたら、という正当なお誘いもあると思うのです。

土井さんは、続けます。「わざわざパンを買いに行かなくても、・・・で、パンケーキ作っちゃえばいいんですよ。すごく美味しいですしね」んー、まずは、おはぎの前に、パンケーキ作ってみようかな。

お料理した人にとって、「おいしいね」と言ってもらうことは喜びでしょう。でもその「おいしい」にもいろいろあるということです。家庭にあるべきおいしいものは、穏やかで、地味なもの。よく母親が自分の作る料理について「家族は何も言ってくれない」と言いますが、それはすでに普通においしいと言っていることなのです。なんの違和感もない、安心している姿だと思います。

一汁一菜でよいという提案、土井善晴

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