見守ることのエネルギー

週末になり、洗濯機の故障しました。エラーメッセージをもとに対応してみると、どうも排水ルートの詰まり。10年近く、毎日使っていますので、メンテナンスが必要なようです。
とはいえ、そんな悠長なことも言っていられず、ネットから、マニュアルとYouTubeで対処をざーっと調べて、早朝から作業です。
できることは一通りやりましたが、最後は接着された排水ルートを外すのにためらいました。ここから先は、メーカー対応と判断したのです。
同時に、日曜日に予定していた友人との約束にも影響が出てしまいました。すると、友人が「見に行くよ」と道具箱をもって駆けつけてくれたのです。
結論は、私と同じで、自分たちでできることは、ここまで。もしも、洗濯機を屋外に出して、吸水ホース、水圧をかけられる道具などがあれば、徹底的にできたのですが、ここまで。
でも、ありがたかったです。メーカーを呼ぶのは、費用もかかりますし、何より時間がかかります。それまでは、ランドリーで洗濯しなければなりませんから。日常生活に負荷がかかるので、とにかく、「無理かな、と思いつつも、何かできるかも」という気持ちで見に来てくれたことが、ありがたかったです。
関わることで、直接的なプロセスや結果に介入できなくても、いっしょにいて見守ることには、何か支えていただいたという強いエネルギーがある気がします。

しかし考え方や価値観になるとブレーキがかかる。それは外から与えるべきものではないと感じているようだ。あり方や存在に至っては、なにをか言わんやである。

かかわり方のまなび方: ワークショップとファシリテーションの現場から (ちくま文庫), 西村 佳哲 ()

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