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子どものころから、自分で何とかしないとやっていけない環境が続いた。
小学生のころは、弟や妹の保育園のお迎えをしたし、子どもたちだけで夕食を食べて、風呂に入って、寝ることもしばしば。
母が入院したときには、祖父母の家に1週間くらいお世話になった。雨が降ってはたいへんと長傘も持って行ったら、祖母に用意が良すぎると笑われた。
苦労はしたけれども、悲壮感はない。
それは、おそらく母親が、客観的に私たちの置かれている立場を包み隠さず話しをしてくれて、私への信頼の裏付けだったから。
このコミュニティで自分も役割を果たさなきゃ、という意欲が引き出されれば、大変だけど大丈夫なのである。
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戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。私が大学生であると知ると、『私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった』といった。まなび(ラーン)、後にまなびほぐす(アンラーン)。
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