インターネットが使えるようになって、もう30年くらいでしょうか。小中学生くらいの私は、教科書や先生から「教わる」ことで教育を受けてきました。高校生になってもラジオ講座や参考書、問題集。大学生になってからも、教科書と教授たちの講義から。研究室になって、やっと試行錯誤ができたような気がします。
ちょうどそのころにインターネットがはじまって、あ、すごい、と。
それまでの先生やテキストから「教えてもらう」学びから、自分から「調べる」、自分で考えて「発信する」ことができるようになったのです。その後も、CPUの性能も、インターネットの速度も、サーバーをレンタルしたり、簡単にブログも作成できる環境になりました。
実際に、スタッフの育成に悩んでいた私は、当時のブログに「教えるときに失うものがある」ことを書き込んだのです。奇跡的に、そのときの記事を見たポートフォリオ関連の著者から連絡をいただき、わたしの学び方は、さらにガラリと変わりました。
同時に、当時はTwitterも全盛期で、「EBM」「教育」「感染対策」のキーワードでつながりが増えていきました。リアルの世界ともう1つネットでの世界もできて、二層の世界を行き来しました。
インターネットの可能性は、使い方次第で、いまも、これからも私たちが学び、楽しく生きていくのに不可欠な存在になることと思います。切り替え点は、自分から問いを掛けながら、生きていくということだと思います。そこから、どんどん、世界がつながり、広がっていくことと思います。
「なぜこのポイントで遊過するんだろう?」と考えていると、数えることについて、あまり自分の中で抵抗感が生じないことと、強い抵抗を感じることの違いが見えてきた。
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