自由を手に入れたい。
中学生くらいのときから、そう願っていました。試験勉強、部活、友人関係からの窮屈さから逃れたい気持ちが、自由を求めたのかも知れません。
社会人になり、自由になりたいという気持ちは、少し薄れてきました。何より、目の前のやることにせいいっぱいだったからです。
社会人として給与をもらってすぐに、「金持ち父さん貧乏父さん」を手にしました。そこには「経済的自由」という概念が紹介されていました。お金があることで、自由になれることに、不思議なあこがれを抱きました。たしかにお金があれば、働かなくてもいいのです。好きなときに、好きなことができて、自由になれる可能性を感じました。
実際に、大手銀行を早期退職して、自由に生活している友人もいました。東京駅で待ち合わせをして、ノウハウを聞くと、「経済的自由」は、方法次第でわたしでも手に入れられると教わりました。
しかし、わたしはコミュニティのなかで、価値あることを生み出すことに懸命でしたので、「経済的自由」に全力投球をする選択はしませんでした。
しばらくして、時間の自由がほしくなりました。あまりに多忙で、時間の自由がなければ、自分がダメになりそうだったからです。
でも、出張で1泊、2泊もすれば、仕事と家庭の煩わしさからは逃れられるものの、ものさみしくなるのです。日帰りで温泉にいっても、夕方には、はやく帰って、家事をしたくなるのです。
そして「自由を手に入れる」という当初の願いは、ふりだしに戻りました。もしかして、この家庭と仕事のコミュニティに、私にとっての自由がひそんでいるのかもという気づきです。
もとねすメモ)人生のサードステージに入るまでに、自由へのスタンスは決着したおきたいです。
1990年代頃、貧困層・低スキル層と富裕層・高スキル層の労働時間が完全に逆転する。低賃金の人たちが短い時間しか働かず、高賃金の人たちがそれより少し長く働くようになったのだ。
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略
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