メトロの改札を通り抜けようとすると「あれっ」と声をかけられた。中学・高校が同じだった友人だ。「どこまで?」の会話ではじめられるのは、適度にメールでやりとりしてたから。
「いい知り合いが多そうだね。うちの子たちに相手を紹介してよ」というお願いをされるくらいの関係が、私と彼女の仲だ。ちょうど幾人かの「紹介待ち」のスタッフがいたので、私にも好都合だった。どういう訳か、お互いに男よりも女の方が「紹介待ち」が多い。
「ま、当人同士のことだから」とそのことは話題にもせずに、改札を抜けてホームに2人で並んだ。「外苑前で待ち合わせなんだ」と行き先を伝えると、彼女は「私は勉強しに、図書館よ」という。
夕食の準備をして子どもたちをあずけ、晴れた週末の午後に図書館へ行く。3時間集中して勉強するために。「勉強はたいへんだけれど、習慣にすればいいものよ。仕事と家庭と勉強の両立ができるようになりたいな…」
自分は忙しいと思っていた私よりも、彼女は密度の濃い時間をすごしている。彼女が私に入れ替わって人生を歩んだら、もっと大きな成果を生んでいるに違いないだろうな、と感じた。隣にいるだけで、そのテンションが自分に充電されていく。
3駅ほどで、私は乗り換えのために車両を降りた。「勉強の邪魔したんじゃない?」と気遣うと「3駅だってわかっていたから、大丈夫よ」と笑う。手応えのある友人を持てることは、ありがたい。
もとねすメモ)さて、私も待ち合わせまでの時間は、勉強しよう
マルコム・グラッドウェルは著書「ティッピング・ポイント」の中で、最初は眠っていたアイデアがいかにして結局広がりはじめるかを説明している。彼の理解では、これらのアイデアは必ずしも内容的に改善されたわけではない。そうではなくてプレゼンテーションの小さなひねりが、それまで無視されていたものを大勢の人々が関心をもつ何かへと変えていくのだ。
(マイケル・R・ローズ『老化の進化論―― 小さなメトセラが寿命観を変える』)
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