朝食の目玉焼きは、半熟にしてほしい。
ごはんの上に、ベーコンと半熟の目玉焼きをのせて、醤油でいただくことが大好きな私は、彼女に「半熟でお願いね」と、ひとこと申し添えました。ところが、いざ、いただきます!の声の下方には、しっかり固まった感じの黄身が…。
「あれ?」
「ああ、期限がギリギリだから、よく熱しようと思って、しっかり焼いたよ」
と、彼女の返事。
「おお、ありがとう」
半熟にしなかった「主張」は、期限がギリギリだったためよく焼こうとした「根拠」があったからで、それは、私の健康を気遣っていることの「論証」である。と、理解すれば、怒る必要もない。
「半熟がいいって言ったじゃん!」
「だったら、自分で焼いたらいいでしょっ!。もう作らないから」
もしも怒っていたら、事象の理由は明かされないまま、感情を投げ合い終わってしまう。
コミュニケーションは、信頼を築くために。
気づき)主張、根拠、論証って、やはり基本ですね。
ゲーテは70歳にして恋をしたのだから
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