無意識読書——引用メモを手放した理由

積み上がった本をざっくり読みながら、いい時間をすごしています。ただ読んでいるだけなのですが、それでよいです。

以前は、その都度、しきりに本の引用をメモしていたのですが、最近をだいぶメモすることが減りました。1冊あたり、だいたい3点くらいか、少ないときは1つ。引用メモで疲れてしまうようなことはなくなりました。

なぜ、引用する作業を捨てたか。それは、自分にとっての「問い」を軸に本と対話したときに、あっ、と核心でやりとりするタイミングに時間をかけているからです。本に書いてあるいいことや、知らないことにいちいち引用メモすることはなく、なんでこんなこと書いているんでろうと著者とやりとりする時間。結構、苦しくも、心の整理をするのに時間がかかりますが、それでよいです。

著者が言っていること、それについて私の問いで考えたらどうなのか。読み終わっても、どうなのか、の部分は書けないこともあり、その著者が言っていることを1つでも2つでも、引用メモしたら、十分です。つまり、そのくらい問いをもちながら読書をしはじめたら、読んだら忘れてしまってもいいし、それは無意識読書と言ってもいいと思います。

大人は「あなたのため」という言葉で、子どもの「今・ここ」を軽んじています。例えば、小学校や幼稚園から受験を始めさせるのは、良い高校や大学を選べるから。そうでなくても、中学校の勉強は良い高校に行くため、高校の勉強は良い大学に行くため、大学では良い仕事につくため、そして仕事をするのは老後のため…いったい私たちは、いつ「今・ここ」の自分を生きるのでしょうか?

わたしはわたし。あなたじゃない。鴻巣 麻里香 、2024

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