つらいときに自分に自分から声をかけてみる

これまでも人生で、絶望的な気持ちになったことは、何度もありました。

一般的な悲嘆のプロセスは、心のまひに始まり、切望と探求の気持ちが湧いて、混乱と絶望に陥り、最後には回復する。と知っていても、当人としてはつらいのです。

実際に、どうしても、つらい状態が続いて抜け出せなくなったときに、どうすればいいのか、必死にノートに書き出していました。

その1つは、自分の後ろに、もうひとりの自分を置いて、声をかけるというものです。

「それは大変だね」「本当に、つらいよねー」「さらに、そんな状況か」など、とくにやさしく、ときにきつく、声をかけるのです。

だんだんと、自分が置かれている場面が、少し遠くから、客観的に見られるようになります。

つらさ、悲しみの本質は変わりませんが、置かれている状況として捉えたときに、自分とその対象となる「つらさ」「悲しみ」との位置づけが変化していきます。

そうして、そのことを誰かに聞いてもらう、日記に書いてみるとより、「つらさ」「悲しみ」に丸呑みされることなく、対象として捉えられる気がするのですね。

人間は、アブダクションという、非論理的で誤りを犯すリスクがある推論をことばの意味の学習を始めるずっと以前からしている。

『言語の本質』今井むつみ、秋田喜美・著 中央公論新社

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