受験生たちの夏がやってきました。いつでも、宣伝広告に囲まれてしまう日々に、受験生たちも、一喜一憂しているかも知れません。
受験をしないわたしでも、広告をみれば、受験を思い出し、あのころの時間の使い方やしんどさを思い出してしまいます。決してよい思い出ばかりではなく、むしろ、苦い。
いまは、リサーチクエスチョンの欠片を自分のペースで、取り組む日々ですが、ときに、受験のときのような学び方も取り入れたら、どうなるのかな、とも思うのです。
例えば、「親のせいで不幸だ」と考える場合、それは親(原因)が不幸という結果をもたらしたととらえるわけだから、機械論的なものの見方であるといえる。これに対し、同じ事象を、「自分がそのような親を持ったことや不幸だと感じていることは、何らかの意味があって起こっていることだ」と考えるとき、それは目的論的な見方であるということになる。
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