学習会や講演会で、演者の先生の話を聴くときに、最近は、メモをしなくなりました。メモは講演が終了してから、数行の箇条書き程度です。自分が受け取ろうとしているものが、変わったのかも知れません。
以前は、コンテンツそのものを「理解して、覚えて、使える」ように必死にメモをしていました。他の人に、同じ内容を話せるくらいに集中して聞いていたのです。
ところが最近は、コンテンツそのものよりも、演者の話しぶりやふるまいを受け止めるようになりました。言葉の選択からテーマの堀り方を味わいながら、ロジカルな演者なら、自然にコンテンツのつながりが仕上げられ、「ああ、そうか!」と気付きの発火を連発しながら、リアルタイムで全身に浴びることを優先して、講演が終了する。終わったときに、ポロッとでてきた「それって大切だな」を、数行メモして終わりです。
なぜ、この方法を好んでいるのか、自分でもわかりません。
推測するに、演者の先生は、熟達された方であるほど、自分の思考を言葉で伝えてきますよね。ですから、受け手の私も、言葉で受け取って思考に収めた方が、コミュニケーションの手続きとして、整合性があると思うからです。ここに、手書きのメモを入れてしまうと大切な相手のリズムを見逃してしまう。ハンドアウトも見ないほうがいいですね。スクリーンがあるのなら、先生と同じスクリーンを見たほうが、五感に伝わってきます。
五感のリズムで受け止めて、それからメモをする。この順序が、演者の本当に伝えたかったことをつかむには、自然なながれでしょう。再現性を求めるなら、受け止めたあとのメモをどう書くのか、工夫をすることだと思います。最初から、メモではないでしょう。議事録として速記することでは、あとで読み返しても、何が重点なのか、読み取ることは困難だと思いますから。
もとねすメモ)自分が感じ受けた重要なことを大切にしたいですね。
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