駅のベンチ

駅のベンチは、すっかり減ってしまった。

久しぶりにJR横浜駅に行ってみたら、駅構内でストリートピアノは聴けるし、ベイスターズのクラフトビールも飲めるし、なかなか良い。

でも、わたしは駅構内のベンチを選んだ。

読書をしたり、あれこれ考えたり、隣の人から話しかけられたり。

行きすぎる人たちを眺めれば、力仕事のそれとわかる哀愁?やら、子連れの慌ただしさも、これからデートだったりも。それぞれにリンクしたら、だいたいが見えてしまう。

座ったベンチでは、年老いたじいさんが「いっしょにどうか」と一杯勧めてくる。

ていねいにお断りをすると、反対側の右手の部活帰りの女子は必死に試合ノートに書き込みをしている。

酒を勧める、部活にまっしぐら。どちらも懸命な自分へのアクセス。あってもなくてもいい「駅のベンチ」だからこその。

変化はいたるところで啐啄同時になっていくように思います。「啐啄同時」とは禅の言葉で、「啐」は鳥の雛が卵を内側からつつくこと、「啄」は親鳥が外側からついばむことを指します。この「啐」と「啄」がぴったりあったときに、殻が破れて雛が生まれる。そこから転じて、本来は悟りや学びの導き方のあるべき姿として用いられる言葉です。

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