あいさつってしないといけないの?【正信無常観】

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祖父の27回忌で、お参りにいきました。
今回、住職が選んだのは「正信無常観」。

寺町でもある深川に親子3代で住んでいる私の実家には、冠婚葬祭はもちろん、祭りや年中行事でしょっちゅう親族が集まっていました。なかでも、お寺にお参りに行く時間は、子どもながら異質な時間。

礼儀のある服を着て、ちょっと敬々しい挨拶をして、お茶をいただく。住職の長い前話を聞いて、お経がスタート。大切な話がされているのだろうから、真剣に聞こうにも途中で必ず挫折してしまう。ああかな、こうかな、と気づくことがあればいいほうで、境内の見回しながら、お香の匂いのなかを経が漂い眠気に負けそうになる。

小学生の甥子たちを横に、それでもこの時間は大切だよ、という気持ちで、大人になったはずの私がお経を傾聴していると「無常知らなば、無常恐るるに足らず…」と、聞こえてきた。

「あいさつをしないといけないの?」と問う子どもたちへの答えはこれだな、と気がついた。

「一切のものは、変わりつづけるものだから、いつもいっしょに、こうしてみんなで会えるわけではないよ。世の中はそういうものだとわかっていれば、これから先のことにいろいろ心配をすることもない。心配をすることよりも、誰かに会えたときには、大切な御縁だと思って、おはようございます、って言おうね」と。

もとねすメモ)そういう意味でいいのかな、通じるかな。

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