この話を思い出すと、まわりの人のことは、もちろん、自分のことも、ちょっと気にかけてあげなきゃな、と思います。それは、褒美についてのこんな寓話です。参考資料が何だったのかわからないため、正しくはないかも知れません。
むかしあるところに、ある商人がいました。
ある日、自分の家の壁に、子どもたちが石を投げる遊びをはじめました。子どもたちは、石投げがたいそうおもしろかったようで、商人が注意をしても、毎日、毎日、石投げを続けました。
困り果てた商人は、石投げを止めさせるよい方法はないか、と長老に相談をしました。長老は「褒美をあげるがよい」といいました。商人は、どうしてあんな遊びに褒美をあげなきゃならないのかわからないまま、「ほら、褒美をやろう」と金貨を子どもたちに渡しました。子どもたちは、大喜びです。
しばらく子どもたちをほめて褒美を与えていた商人は、石投げを止めてもらうにはどうすればいいのか、もう一度、長老に相談をしました。すると長老は、「褒美をあげるのをやめればよい」と言いました。
次の日、商人は、子どもたちに金貨をあげるのを止めました。すると、子どもたちは「金貨くれないのか。なーんだ、つまらない!」と石投げの遊びをやめました。
めでたし、めでたし。
相手にその行動止めてほしいときには、外発的動機づけを与えれば、内発的動機が減少し、外発的動機もなくなるとモチベーションがなくなってしまう。 アンダーマイニング効果(undermining effect)というそうです。
内発的動機があって、外発的動機が追加されると「すげくうれしい!」状態だったのに、いつからか、内発的動機がなくなって、外発的動機だけになってしまうのは、不思議です。外発的動機が、内発的動機に何らかの作用をするのか、入れ替わってしまうのか。
好ましい行動に対しても、過剰な褒美を与えることで、行動を止めてしまう可能性もあるのかも知れませんね。ちょっとゾッとします。大切なまわりの人にも、自分にも、褒美を与えるときには、お気をつけて。
もとねすメモ)外発的動機づけが来たら、自分を観察したい。
コメント