自分のことにせよ、家族のことにせよ、最期はどうなるのかな、と考えたことはおありでしょうか?
往生して最期は病院がフツウと思っていたら、予想以上に自宅で亡くなられる方の数は増加し、それに合わせて在宅での療養やケアの制度も変わってきているようです。
本書のなかで社会学者の上野千鶴子さんが、こんなことをおっしゃっています。
「たとえば、1日4回か6回、訪問介護に巡回で来てもらって、前の巡回のあとでつぎに来てくれたヘルパーさんが、『あら、上野さん、息してらっしゃらないわ』って。『まだ温かいわね』って。それでいいじゃないのって思えるようになった。」
この感じ。これをかなえるためには2012年にスタートした「24時間地域巡回型訪問サービス」の定着を、本書では提案しています。
身の回りのすべてを整理したら、安心したら死ねるのではなく、がんだろうが何だろうが、なるべく最後まで生活が可能であるようにして、そこで「あるとき」に死を迎えるのがベスト。このスタイルにも共感です。
「安心して自宅で死ぬための5つの準備」新田國夫
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◯身の回りのすべてを整理したら、われわれは安心して死ねるのかというとそうじゃないと、僕は思う。がんだろうが何だろうが、なるべく最後まで生活が可能であるようにして、そこであるときに死を迎える、ということがベストだろうと思うんです。
◯在宅療養に必要な「ハード」は、電話一本ですぐにそろいます。在宅療養に必要な「ソフト」は、24時間体制の医療と介護の手です。
◯たとえば、1日4回か6回、訪問介護に巡回で来てもらって、前の巡回のあとでつぎに来てくれたヘルパーさんが、「あら、上野さん、息してらっしゃらないわ」って。「まだ温かいわね」って。それでいいじゃないのって思えるようになった。上野さんの希望をかなえることができれば、在宅療養、在宅ケアは一応、完成すると思うんですね。
◯解決策の1つは、24時間地域巡回型訪問サービス。2012年4月に導入され、1日1時間入ってもらっていたものを20分ずつ3回に分けて、そのうち1回は、夜中の12時に巡回して来てもらって排泄介助をお願いする。それができれば、家族は起きなくてすみますから、これで介護の負担がぜんぜん違ってきます。
◯メメント・モリ(死を想え)というラテン語は、「自分がいつかかならず死ぬことを忘れるな」という意味の警句だそうですが、「最後の2週間を幸せに生きる」と心に決めておくことによって、よりよく生きられそうな気がします。
もとねすメモ)病院にお任せではなく、知っておきたいことですね。
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