求めて得られるものではない幸福

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 「幸せをつかむために何かをやる、という考え自体が本来的に成り立たないのです」という姜尚中さんの言葉を読んでから、早起きをすることも、ブログを書く理由にも、迷いが生じています。

 というのも、このままスペックを高めることを求め続けても、行き着く先に、「どうも幸せは、なさそうだ」と、私自身が感じ始めているからです。自分にとって幸せとは、何なのか、そもそも知るべきことを、知っていないのでは、という問いに戻ってしまいました。

 一方で、システマティックに物事をやることを、否定しているわけではありません。システムズアプローチやプロジェクトマネジメントのように、達成するための手法は、言葉も考え方が違っても共同して、やりとげる術として有効ですし、個人に適応しても成果がありますから。

 しかし、個人の幸せという大きなテーマにまで、人生のミッションを定めて、期限と結果を決めてマネジメントしていくということに、意味はあるのか?、ということには、疑問をもつのです。もちろん1年間の計画を立て、よく遊び、よく学ぶのに、マネジメントのシステムは、なりたい自分になるためにも、有効でしょう。

・達成した成果は、本当に自分が求めているものなのか?
・達成した成果に、自分はどんな気持ちを持つか?
・日々の中にその感触をもつものは、ほかにないのか?
・実は、日々のなかで、その幸せ感はつかんでいるのではないか?

 と、チャンクダウンしていくと、実は、自分にとって都合の良いことも悪いことも、そこに接している自分の姿勢や態度や感じ方次第で、そこには、幸福感も不幸感もあるだろう、と思うのです。そこに接している自分の感覚を大切にすることこそが、幸せであることの在り方なのでは、と思うのです。

気づき)意識して気がついて、よかったことの1つ





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