「Bonjour(ボンジュール)」や「Merci(メルシー)」の発音とタイミングには、実は自信がある。高校の友人と行ったフランスのトゥルーズへの旅で、その出会いはあった。それは、フランス語はもちろん、英語もろくに話せないのに、私に付き合わせた卒業旅行だった。
- 作者: 川田靖子
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2006/06
- メディア: 単行本
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十八区にあるブルトノー病院は、モンマルトル墓地に隣接している。私の住まいからは、セーヌ河をはさんで北の向かい側にあたる。
病院の玄関から真っ直ぐにのびた広いロビーは、モンマルトルの町並みを模しており、カフェあり、ブティックあり、美容院ありで、お年寄りたちが自分の街の続きを歩いている気持ちになるように造られている。最新の病院にしては、カフェの調度が古めかしいが、それもそのはず、店じまいした地元のカフェそのもの一式を譲り受けたのだという。なじみの町に住む感じをそこなわないためだ。ブティックの品物も寄付によるものである。 またこのロビーはギャルリーの役目も果たしており、その週にはアンヌ・アクニンという前衛染織家の、浮き彫りのようなタスペリーが展示されていた。
「最期の看取りの施設」の語義でアメリカや日本で現在用いられているホスピスという言葉は、フランスでは1975年以来、法律により禁止用語。
緩和医療では医療従事者のアプローチは、本来DOであるべきか、BEであるべきか、問われている時代だ。つい私たちはDoをしてしまう。でもBeであることでいい、というのはこの場面から、思う。
カフェにお年寄りが集まってくる。例の笑顔の美しいアリックス、青いセーターにパールのネックレースのステラ、九十九歳のカトリーヌと、フォラオン夫人。体が傾いてしまって、あまり話もできない人も、みなきれいに身を装って、緑のひさしのついた帽子などをかぶってやってくる。服を着替えるだけのことで、平板に流れてしまう病院での日常に、ほんの少しだがアクセントがつくのだ。
ただ在ることは、簡単ではない。
何気ない患者さんたちとの会話も、相手との信頼あってのこと。その信頼は、相手から信頼され、相手を信頼し、自分で自分を信頼するという1つ1つの階段を経験して、自分のものになる。
もしも、最初から相手を信頼できることができたなら、そこは物語り医療の入り口かもしれない。
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