MITのオープンエデュケーションのことで話をしていたら、「叡智の共有は、さらに進化を生む」というダイナミズムに感動しました。大学の講義とテキストがすべて無料で公開されている。それもMIT、Stanford、そしてHarvardをはじめ世界中で。すごい挑戦!、と感心しながら眺めていたのですが、この環境に私も同化されつつあるようで、思考も変化してきました。
1.共有をすると「個の極み」がさらに深まる
共有をするには提供者側がオリジナルな個を持っている必要があります。他とは違う特異的な何かを持っていないと存在する理由がないからです。よって、つねに新しい研究成果でも途中仮説でも、「マイ・オリジナル」を提供する必要があります。それを外にだすことで、意見がもらえ、さらに自分の時間で「個の極み」が深まるという「教育の自動サイクル」に入ることができます。
講義・講演は依頼があれば引き受けた方がいいし、「発表していいよ」という場があれば手をあげることがファーストステップです。しかし、機が熟することはないので「自分から場を作ること」を、スタンフォードのティナ・L・シーリグは勧めています。
2.In the right place at the right time
私たちの場を仮に、1) Field, 2) Desk, 3) Table, 4) Internet に分けます。患者さんや地域、医療スタッフや実在する現場がフィールド。そこから課題を抽出してデスクで調べて、テーブルで論議をします。20年前までは、ここで終わりだったのですが、インターネットは、第四の場所になったわけです。
確かにOCWオープンコースウェアはインフラに恵まれない国々で、威力を発揮することと思います。同様に、図書館のない病院、職員数の少ない薬局、専門医のいない環境でもその恩恵にあずかることができます。
第四の空間の意義は、「正しい時に正しい場所」にいることができる点です。世界の研究がどうなっているかは、無料でMedlineが検索できるし、薬理をどうやって教えよう?と思ったらMITの教材だって見られるです。そして、その成果をフィールドにもどしたときに、フィールドからの悩みがカケガエノナイモノになります。
3.逃げ出さずに「ここにないもの」とつながる
OCWのカリキュラムを見ると「ああ、あれも勉強したかったんだよな」というテーマを散策することができます。自分には理解できない高みがそこにはあって、巻き込まれることになります。しかし、それは高揚感(はじめて学校に行った4月のような)を伴いなす。そして、自分の手持ちの価値ものさしでは、考量できないことに気がつきます。
ここで、逃げ出すと、終わりです。
学びは、フルセットで決まったカリキュラムではありません。思い切って、好奇心で扉を開けてしまった方がいい。そこには、「ここにないもの」があります。茂木健一郎さんがいつもおっしゃるように、偶有性contingencyの海に飛び込みましょう。世界は「わからない」から美しい。
気づき)
・たとえば、MITのprinciple pharmacologyはここ
・やっぱりものすごい時代に私たちは生きている
・何でも日記、コーチングマネジメント、共通言語としてのEBM
これから)あああ、気持ちが大きくなりすぎました。これで、現場での悩みも小さくなる・・・というより、貴重になります。今日も寒いし、東京は雨のようです。よい一日をお過ごしください。
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