4月をとっくにすぎて、看護学校の講義、薬学部の実務実習がはじまり、週末には結婚式で祝辞を述べる。未来ある人たちを前にいつも願うのは、新しい自分に出会おう、ということだ。
2007年に黒部立山の講演で茂木健一郎さんが話されたメッセージを、繰り返し聴き続けている「偶有性contingency」。半分は予定どおり、半分はわからない。科学や社会は世界知として、遠く固定されたものではなく、contingencyという構えでいれば、適度な緊張感を持って、今日という未知を生きていける。脳が自由になる瞬間がつづけば、セレンディピティserendipityにも出会えるかも知れない。そういう飢えを、忘れないでいてほしい、と思っている。
ドリルと自由課題、どちらが大切か?という教育論議は、「どちらも大切」が正解。ドリルは、やったらいい。それだけで、すでに解決済みの問題。知識と教養。知識はどんどん吸収したらいい。しかし、教養は、簡単には身につかないし、そもそもそれを受け入れる価値があるか?判断しかねる人もいるはずだ。
つまり、contingencyですでに予定されていることは、ドリル、知識、薬理の授業、いままでの自分であり、予定されていないことは、自由課題、教養、畑作業の授業、これからの自分だ。この予定されたいないことを受け入れる覚悟をもっているということが、人生にとっての予定調和になる道しるべになる。
相当緊張をしている新人は、予定されていないことの覚悟を20%くらいから、はじめたらいい。
そして、予定されていないことを50%くらいに見込んだとき、気持ちが自由になり、新しい自分に出会い、それが、その人らしさになっていくのだと思う。
これから)実務実習の麻薬講義、職場会議、薬剤師会の役員会。
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