場の親密性を優先させる自分もアイデンティティ


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私は理性もシステムも十分には信じていません。

私が知りたいのはどうふるまうべきかです。

より厳密に言えば、神も理性も信じないでなお、どのようにふるまい得るかを知りたいのです。

(アルベール・カミュ)

 歴史も哲学も知っちゃいない私にも、何となくわかり、何となくそうだと頷かせ、面白いと思わせる。そこにいつも、内田樹先生の膨大さを感じる。その「みんなまとめて、面倒みよう – Je m’occupe de tout en bloc」という世界に。

 著書『日本辺境論』には、「日本人のこの「親しさ」への固執、場の親密性を自分自身のアイデンティティの一貫性よりも優先させる傾向はすでにルース・ベネディクトが『菊と刀』で驚きとともに指摘していたことでした」という衝撃のくだりがある。

 場の親密性を優先させてきた私は、打ちのめさました。そうして生きてきたことを突きつけられたようで、ショックでした。

 しばらくして、

 京都で同じ本を読書していた @neyapen さんに飛び込みで書き込みをしました、、、

 すると、 こんなフォローをいただきました。

 場の親密性を優先させる自分もアイデンティティの中のひとつになりうるのでは?

 自らを帰納的に構築することで、どんな状況変化にも耐えうる枠を形成することは可能でしょうが、(そういう見事な人を知っていますが)実際の日本社会では大変生き辛そうです。

 遠くの人に、リアルタイムで、救われた瞬間。

気づき)

 ・せっかくの待ち合わせの時間にありがとうございました!

 ・「場の親密性を優先」、いいこというよな。

 ・読書、つながり、救われる経験が、ネットワークで実現している世界にいる。

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

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