湯舟に浸かりながら、水面が大きく揺れると、ぐらーっと地震の揺れがきた錯覚に陥ってしまう。それは、あの震災から。
あぶないぞ!、と身体は防衛しているのでしょうね。ぐらーっときたときには、本当に地震なのか、錯覚なのか、確かめるのにも時間がかかります。
それだけ、私の身体にも、負担になった震災だったのでしょう。見ないふりをするのではなく、大変だったよな、と声をかけてあげたい。よくやったこと、おどろいたこと、たいへんだったこと。いろいろあったから。
目標の持ち方や時間の使い方、人との接し方も、あの日以前と以後は、違うような気がしています。ここのところは、もう少し時間をかけて認知しておきたいな。
3月11日は、よく生きるための大切な日にしておこう。
もとねすメモ)そろそろ走っておかないと
自分だけ他の人と違うんとちゃうか、自分だけ見られてるんちゃうかとか。誰も大してあんたのことなんか見てないのに、自分の勘違いで自分を緊張させてもうてんねん
(伊藤丈恭『緊張をとる』)
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