「テクノロジーの進化」についてブログに書きながら、この進化は手放しでよろこべないと思いました。というのも、小学生の娘に「いつも、お父さんは、iPhoneで何をやっているの?」と不意に聞かれたからです。何をやっているのか、わからない。
いっしょにいる友人が何をしているのか、わかならい。
いっしょにいる家人が何をしているのか、わかならい。
これは、異状かも。
1.やっていることを見せる意味
私が小学生のころ、祖母の家の茶の間には、大きく重たい広辞苑がありました。1つの言葉を調べる私を見て、祖母は「なんの言葉?」と私に話しかけ、いっしょに、言葉の世界に入っていく。同じ作業はしなくとも、やっていることを見せることは、「関与しながらの観察」として大切なつながりの役目と思うのです。
2.辞書もノートも、ピアノもなくなり・・・
ところが、iPhoneの場合は、何をしているのかわからない。辞書も、ノートも、楽器も、スピーカーも、パソコンも失くして、iPhone1つにすることもできる。さらにテクノロジーが進化したら、家に残すものは何になるのだろう?。
3.ツナガラナイ代わりにつながるもの
自宅ばかりでなく、友人やグループでいるときにも、iPhoneをなるべく使わない方がよいのかも知れません。電源を切らないまでも、なるべく使わないと決めることは、ネットにつながない時間を作ることと同じメリットがあるはずです。ツナガラナイ代わりに、つながるものへ。
気づき)テクノロジーの進化は止められないけれど、付き合い方は選びたい
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