「私のどこが好き?」と彼女に聞かれて、そこに正解があるとすれば

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 「甘すぎる♡新妻デビューキッチン3点セット」
(『ゼクシィ7月号』より)

 見るのも、読むのも恥ずかしくなる広告。通勤電車で、つい凝視しちゃいました。甘すぎる新妻って?。目を伏せて、キッチンの3点セットってを心のなかで選んじゃいました=フライパンと包丁と中華用のお玉かな、ボクなら。そーっと、顔をあげて、もう一度つり革広告に目をやると、ぜんぜん、ちがうん。新妻デビューですから。「甘すぎる♡新妻デビューキッチン3点セット」=キッチンタイマー&エプロン&シュシュ。はぁ、、、確かに、甘すぎる。それで、料理できるのか?。すっかり頭のスイッチオン、ありがとう、ゼクシィ。

 さて、学生のころに読んでいたフロムの「愛するということ」には、冒頭に、こう問題提起がされています。

 愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。それとも、愛は1つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。
(『愛するということ』エーリッヒ・フロム)

 フロムは哲学者ですから、難読ながらもがんばって、がんばって読み進めても「甘すぎる新妻」は最後まで登場しません。もちろん、「甘すぎる新妻」を射止める方法も、最後まで教えてもらえなかったのです。

 愛するということさえ、感じるというよりも、認識するということで、理解しようとしていた自分。
 そんな私が、もしも「私のどこが好き?」と彼女に聞かれたら、何と答えるか。

 おそらく「私のどこが好き?」と彼女に聞かれたら。「わからないけど、全部」と答えるのが、たぶん正解でしょう。「全部じゃわからないよ。どこが好きなのか、ちゃんと言ってよっ!」となじられても、「わかんねぇ。全部」と言い切る。

 というのも、もしも「どこが好き」なのか、好きな部分を言えるということは、相手を部分的に承認しているということですから。

 一方で、何だかわからないけど全部好きの場合は、全部承認。よいところも、なおしてほしいところもあるけれど、全部OKなのです。これがいえるということは、自分のよいところも、だめなところも認めている人にしか、言えない。それを受け入れられる自分と、受け入れようとしている相手はあなただよ、という「わからないけど、全部」というセリフは、「私のどこが好き?」と彼女に聞かれたのきの唯一の正解のような気がします。

 ま、でも、「全部ののなかで、どこが好き?」と会話は続くのでしょうけどね。

気づき)せっかく、恋愛をテーマに選んだのに。結局、分析的な語りになっちゃいました(涙)

愛するということ
愛するということ


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