「いっしょにいるけど孤独」な時代にこそ「自分に気づく」時間を

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以前は行き方もわかっていた。

ところが近ごろはなかなか見つけられない。

静かで広々とした空間への渇望。

(「つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方」ウィリアム・パワーズ, 有賀裕子)

 「自分に気づく」ことは大切と書きましたが、コミュニケーション常時接続な日々に、自分の時間を作ることは、至難です。クリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」でいう「連帯と個性の両方を求める」という形が私たちの生来からの最終型かも知れません。「プライベートな安息の場であると同時に社会参加を支える場」でもあるプライベート・テラスのような。

 話し言葉から書き言葉が生まれ、グーテンベルクの活版印刷の恩恵が「当たり前」になったように、ソーシャルメディアが万人に当たり前になるには、もう少し時間がかかりそう。使いすぎるでもなく、まったく使わないでもない。ソーシャルメディア黎明期の時代には、付き合いの距離を自分で決めるのは、どうでしょう?

 

 ・土曜日と日曜日は、インターネットに接続しない

 ・かわりに、平日は思い切り接続する

 ・早朝に書き込む

 「一緒にいるのに孤独(Alone Together)」な場はやめて、

 一回性の瞬間を、その場の登場人物たちとともに愉しもう。

気づき)

 ・最初は不便だし、不安だし、つまらなくなるかもな

 ・でも、それ以上の価値が待っていることは間違いないから

 ・現実のなかで辛苦を舐める(have a hard time)道を

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