精緻に選ばれた「日本語」で語るときに伝わるもの

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僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的に空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。

『走ることについて語るときに僕の語ること』、村上春樹

 「あいつはできるっ。日本語が違うんだよ」という薬剤師。「医学部と薬学部の違いは、国語ができるかじゃないかな」という院長。「国家試験の問題が読めないんですよ」と嘆く予備校講師。

 偶然にも国語である「日本語」を、わたしのまわりで耳にしたのでメモ。

1.伝わる日本語

 木下是雄「理科系の作文技術」で感動を必要としない「仕事文」の技法は、学べる。感動を求めない、正確に伝わる日本語だ。

2.つややかな日本語

 しかし、平易だけど心揺さぶる日本語も使えるようになりたい。「小説は、勉強して書くものじゃない。書くべき人がいるんだ」と伊集院静がいうように、技法ではないのだろう。

3.おもしろいことなら、、、

 アーティスティックな日本語は「才覚」と、あきらめるのもさみしい。ならば、アイデアをロジカルに伝える日本語は、どうか?。これなら万人にチャンスがあるかも知れない。

気づき)

 ・難しい言葉でごまかさない書き方をしたい、村上春樹のように

 ・よく遊んで、よく生きて、日本語とつきあう

 ・誰でも使える言葉だから、選びに精緻が求められる

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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コメント

  1. TA_NTO より:

    説得と納得の違いなんでしょうね。医学部というか研究者は最後は作家になる必要があると恩師から教わりました。

  2. MotoNesu より:

    研究者は最後は作家。たぶん、それ当たりですね。深い!

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