生活のなかの医療

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 病院で働いていると簡単に患者さんのことを勘違いしてしまう。八王子から調剤薬局からの1年研修が終了するので、薬局長さんと懇親をした。

 調剤薬局は、生活のなかに医療を持ち込むのが仕事です。病院は、医療のなかに申し訳なさそうに患者さんや家族が生活を持ち込む。

 だから、病院研修1年で『正しい治療で介入すれば治る確信を持って欲しい』。そう思って、彼女を研修にだしたのです。

 生活のなかにはわずかな医療しか持ち込めなくて、それは時間も機会も少ないから、有効であってほしい。

 生活の中には、わずかな医療しか持ち込めない。

 だから、病院での研修中に、正しい治療で介入すれば治る確信を学んできて欲しい。

 茂木健一郎さんが、quailaについて述べていることを思い出す。ちょっと長いです。

 小津安二郎の「東京物語」の中で、妻が死んだ朝、一人海を見ている老父(笠智衆)が、呼びに来た義理の娘(原節子)にぽつりと「ああ、いい夜明けだった、今日も暑うなるぞ」ともらす瞬間。あるいは、ゲーテの「ファウスト」の第二部、古代ヴァルプルギスの夜の場で、人造人間ホムンクルスがガラテイアの光に憧れて、それに触れようとした瞬間、自分の入ったガラス瓶が砕け、海に投げ出される瞬間。これらの瞬間には、私たちの心の中に何とも言いがたい感動を引き起こす力が潜んでいる。

 そして、これらの感動の性質、それをもたらすものは、人間性の本質のある側面を表している。

 重要なのは、これらの感動に至る認知のプロセスは、全て私たちの脳の中でニューロンの活動として起こっている現象だということである。もちろん、現在存在する脳科学の研究のレベルは、これらの感動の本質を解明するレベルに至ってはいない。だからと言って、現在脳科学の対象になっている日常的かつ基礎的な認知や運動のメカニズムが人間の全てだと考えるとすれば、私たちはとんでもない勘違いをすることになる。

これから)MR面接、職場会議、保健所立ち入り前の準備

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