薬害を覚悟する本19)ゾフィー21歳―ヒトラーに抗した白いバラ


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 薬害スモンのときの厚労省班長甲野先生の言葉。「自分にとってあれは、『季布の一諾』だった。スモンという非常に泥臭い、社会的には泥水を被るような中であっぷあっぷしながら自分もやってきた。しかし、やはり今考えてみると、ウイルス学者がウイル ス説を否定することに寄与できたことを、非常に自分は誇りに思う」(薬害エイズはなぜ起きたか―二度と悲劇を繰り返さないために、桐書房、1996/06)

 このメッセージを紹介していたら、ゾフィーについても書き込みをしたい気持ちになりました。

 ナチスに屈せず毅然とした記録を読むと、人のもつ信念の強さにただただすごさに圧巻させられます。白いバラ(Die Weiße Rose)は第二次世界大戦中のドイツにおいて行われた非暴力主義の反ナチス運動。メンバーは1942年から1943年にかけて6種類のビラを作成。逮捕され、首謀者とされるハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショルSophia Magdalena Scholl ほか4名がギロチンで処刑され、7種類目の印刷がおこなわれることはありませんでした。

 

 刑を前に、謝罪をうながされますが、

「見当違いです。私はもう一度、すっかり同じことを繰り返すでしょう。

考え方のまちがっているのは私ではなく、あなたの方なのですから」

 と、はねかえす。

 当時のナチスの看守ですら、こんなメッセージを残しています。

 三人はまったく勇敢でした。刑務所中が彼らに深い感銘を受けました。それで私たちは危険を冒しーーーもし知れたら、私たちも厳重に処罰されたでしょうーーー処刑のちょっと前に三人をもう一度一緒に会わせることにしました。

「死ぬことがこんなにやさしいことだとは知らなかったよ。もうしばらくしたら、永遠の中でまた会おう」とクリストフ・プロープストがいいました。

気づき)

 ・フォルヒテンベルグ一帯は、観客なしのお芝居。私たちを見ているのは、木々だけでした。

 ・21歳がいまも生きる

 ・大きな夢を忘れないために、小さな夢を忘れること

これから)植栽の日常管理立ち会い、職員面接1名、職場会議、病院薬事議事録&ニュース、オーダリングマスタ切り替え、県病薬の実務実習報告、病院職責者会議、明日からの大阪準備

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